2003年2月13日、
僕が監督をしたファンタジーRPG、
『ヴィーナス&ブレイブス~魔女と女神と滅びの予言~』
が発売になった。
(…とのことである。wikiなどによると。
僕自身は、その発売日のころ、疲労困憊して前後不覚みたいな状態で、記憶がない)
あれから10年。
創作物をつくり、発表しているからには、
いろいろな境界を乗り越えたいと思う。
自分と自分以外の境界。
性別。
年齢。
価値観。
経験。
国籍。
現実のしがらみや事情の中ではなかなか乗り越えられない境界を、
作品によって乗り超えたいというのは、
表現者のひとつの大きな願いではなかろうか。
10年という時間。
当時の小学6年生は、もう大学を出て就職しようというころだ。
新社会人だった人はそろそろ部下もでき子供もいるかもしれない。
当時31歳だった僕も41歳。
決して短くはない時間。
10年ひと昔、である。
あのころは、
ゲームのプレイヤーと、僕のような制作者が交流を持てるようなフィールドは
ほとんどなかった。
PSP版のリメイクを機に、
ツイッターで、当時から愛し続けてくれた人をたくさん発見した。
それから、少しずつ、
僕らの作品が、どんな方たちに、どんな風に愛されてきたのを知ることになった。
本当に、思った以上に、ずっと愛されてきたんだなと実感した。
こちらの写真は、10周年記念特注ケーキ。
すばらしき後輩 ユウさんのすばらしき計らいで、プレゼントいただいてしまった。
いつも本当にありがとう。
それから、ツイッターで、各種キャラクターのbotを運用してくれているあなた。
ファンアートやいろいろな形で長い間愛を暖め与え続けてくれたあなた。
「軟膏騎士団」のみんな。
ほんとうにありがとう。
そしていま現在、新たにプレイして、気に入ってくれているという方と出会ったりもする。
そして思う。
僕たちが作ったヴィーナス&ブレイブスは
10年という風雪に耐えてきたんだなと。
10年。
その時間の“境界”をまたぐ作品を、
僕らは作ることができた、とも言えるし、
それだけの間、支え続けて来てくれたかたがたがいるんだ、と。
誇りに…とか、感謝…という言葉では言い表せない、
なんとも暖かく、力強い気持ちが湧き上がってくる。
それに対して月並みな言葉しか出てこないのがもどかしいけれど、
ほんとうに、ありがとうございます。
■
僕はたしかにあの作品の監督であるが、
もちろん一人で作ってはいない。
たくさんの、優れたスタッフたちと作り上げた。
それを前提にしつつ、もう少し一個人としての考えを述べることを許して欲しい。
僕はいまはもうゲームを作っていはいないが、
けれど、表現したいこと、表現しなければならないと思っていることは
実は、ほとんど変わっていない。
「…限りある生を持つ者にとって、
通り過ぎていくのはいつも時のほうだ。
朝日と共に一日が訪れ、日没とともに去っていく。
一日の訪れと共に、喜びや哀しみ、出会いや別れがやってくる。
そうして、すべての日が訪れ終わった時、命は尽きる。
あなたにこれから訪れる日々が、
実り多きものであることを祈ろう…」
ここまでを読んでくれたあなたなら、
こんな言葉を一度は目にしただろうか。
10年前プレイしてくれたきみたち。
当時少年少女だったきみたちも、
いまはほとんどみんな大人になっているだろう。
当時まだ青年的な面影のあっただろう僕も、
白髪もしわも増えてきて、すっかり紛れもない中年である。
そんな、この10年の経過を踏まえて、
いま改めて、ちょっと違う角度で、
「あの作品であらわしたかった何か」
の一部を、言葉にしたいと思う。
■
きっと10年前に比べたら、
みんなそれぞれ、少しずつ大変だろうと思う。
あんなに長かった夏休みは幻だったように、
数日の連休を取るのにも苦労してるだろう。
あのころ胸に抱いていた夢や希望は、
すっかり薄れてしまっただろうか。
こんなはずじゃなかった、
つまらない大人になっちまったなという感じる日もあるだろうか。
あのころ憧れていたようには輝かしくもない、誰にもてはやされもしない、
そんな薄暗い日々ばかりだろうか。
僕もそうだ。
気にすることはない。
現実を、憂き世を生きるということは、そういうものだ。
僕らは映画やドラマ、ファンタジーの世界を生きているわけじゃない。
誰かによって、意図的に理想的な形に作られた世界ではなく、
たくさんの命が渦を巻きながら、結果的に成立しているのが、
この現実の世界だからだ。
10年前に比べると、
時代的にも、
年齢的にも、
きみたちの状況はそれぞれに重くなっていることだろうと思う。
けれど、ヴィーナス&ブレイブスの思い出とともに、
こんなことをときどき思い出してほしい。
名もなき人の名もなき一日。
それは、
名もなき勇者の、神話の一ページなのだと。
一日一日を大切に、今日こそは輝けるものにしようと、
希望を失わず、力強く生きて欲しいと思う。
無力感に打ち負けることなく、
今日こそは、と。
それが、あの作品を通じて、僕が表したかったことのひとつの、
今の言葉です。
■
最後に、
ちょうどこのゲームが発売されたころ、
つまり10年前の僕が、
初めて読み、勇気づけられた
有島武郎の有名な一節で締めくくりたいと思う。
『小さき者よ。
不幸なそして同時に幸福な
お前たちの父と母との祝福を胸に秘めて
人の世の旅に登れ。
前途は遠い。
そして暗い。
然し恐れてはならぬ。
恐れない者の前に道は開ける。
行け。
勇んで。
小さき者よ』
10年もの間、僕たちの作品を愛し続けてくれてありがとう。
さいごまで読んでくれてありがとう。
たとえばリリーとマキは、イゴールとミレイは出会うことはなかったけれど、
僕らは、奇跡的にも、同じ時代に生きている。
ともに行こう。勇んで。
小さきわれらよ。
川口忠彦
拝