ドキュメント「『セブン』と『ヴィーナス&ブレイブス』」 の一節について今思うこと

ゲームでの代表作

『セブン』と『ヴィーナス&ブレイブス』については

このテキストに記してある。

『セブン』と『ヴィーナス&ブレイブス』

あのときにまとめておいてよかった。

最も大切なことたちは、ここにすべて書いてある。

 

今夜は少しこのあたりについて触れてみたい。

 

この中で

「ゲームクリエイターを終わりにする」ことについて

以下のような記述をした。

“―「もう一度バッターボックスに立つ」のは、どうなんだろう。
と考えてしまった。クソマジメな私。
処世術、という意味ではそんなものお構いなしに、続けるという手もあったかもしれない。
いや、まずはその様に考えるべきだったのだろう。

そういう強さ、人の世を生きていく上での社会的知性が足りなかった。”

と。

 

これはまさにその通りなのだ。

「関係ねえよ、まだまだやるぜ。あたりまえだろ」

と開き直れなかったこと

「自分から身を引くなんてバカだぜ?」

と居直れなかったことは

“弱さ”であり、“愚か”でもあった。
強さも知性も足りなかった。

しかし。
しかしだ。

それはやっぱり自分が

《とても大切にしてきたこと》
《大切にしていること》

だと、いまは思うのだ。

そういう類の“強さ”を持たないのが
私であって
私らしさであって
やっぱりそんな私で良かったなと。

今は
ゲームの頃よりもずっとずっとスケールの小さい活動で
絵を一枚ずつ描いているけど
あの頃よりもずっとたくさんの人生経験をして
あの頃の何倍もの祈りを込めて描いている。

もうこの先 10万20万という人に届くことは難しいかもしれないけど
自分が大切に作る結晶が
好きと感じられる人たちにめぐり逢うことが
いまの至高の幸せ。

人には様々な価値観があって
自分が追求する価値は
そんなところにある。

読んでくれてありがとう。

また作品で逢いましょう。

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