本日、無事48歳になりました。
有難うございます。
思えば子供の頃から生きづらさを抱えつつ過ごしてきて、
「やっぱりだめだ。おれ世の中とうまくやっていけねえや」と思うこと。
大人になってからだって、
うんざりして、ほとほと世の中が嫌になりかけたことも何度もありました。
それでも
失望しきらなかったのは。
誰かが残してくれた創作物と、
自分の創作する行為と時間の中に、
希望の光があり続けたから。
これまでの自分の道を振り返ってみれば、
「自分の創作」を大切にする道を選び続けてきました。
それは大抵の場合、
リスクのある道、険しい道を選ぶことだったし、
時として
雌伏し、機を窺うことでもありました。
その選択の積み重ねの結果。
そして折々に道を作ってくださった方々のお陰で、
未だ倒れず、創作の道に立っています。
寡作ながらも、要所要所ではきちんと区切りになるものも作ってきたと思いますが、
まだまだやり残したことはいろいろあります。
昨年の記事にも書いたように、
37歳から10年かけた基礎技術の見直しをいったん区切り、
試作品のようにあれこれ作りながら、新しく手に入れた技と術を試してきたのがこの一年でした。
此処からは、少し割り切った判断も取り入れて、新しい作風を絞り込みつつ、タッチやマチエールといった、表層面でのクオリティアップに入っていくことになると思います。
また、タロット以来の、少しまとまった作品もリリースするべく、ひそかに取り組んでおります。

◇
人は変わっていきます。
衰えるだけでなく、
良くなることもできます。
これは、願いではなく事実です。
技も芸も力も何もかもまだまだ足りないなと日々不甲斐なくもどかしいばかりではありますが、それでもひとつひとつできることは増えています。今日もまた。
今の私は、五年前の私、十年前の私とは、だいぶ違います。
五年後、十年後は、またずいぶんと変わっていくでしょう。
最近わかってきましたが、
これを読んでいただいている皆さまと、直接お会いしたり、お話しする機会は、リアルに考えるとこの先殆ど無いだろうと思います。
でも、それでいいんです。
そういうので、いいんです。
上手く言えないんですが、人と人との繋がりって、友達に“なった”とか“なくなった”とかでもなくて、もう少し奥の方にある結びつきなんだと思います。
現実を生きるには利害から逃れられませんから、難しいこともたくさんあります。
一方で、そんな利害を超えて、時間さえも超えて、数時間の飲み会では到底到達できないようなところで、
深い共鳴が起こるのが創作物を通じたコミュニケーションなんです。
だから、会えない代わりに、
手塩にかけた絵や言葉や音楽を、少しずつ残していきます。
それらを通して、内側で交信をすることができたら、私はなによりしあわせです。
ではまた。
そんな場所で会いましょう。
読んでいただき有難うございました。
2019.6.20
川口忠彦
拝