2014.08.24 個展ギャラリートーク

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去る8/24、個展会場A STORYにて七梨乃 那由多氏と川口忠彦の対談形式によるギャラリートークを行いました。

以下、当日の模様を七梨乃氏に起こしていただきました。

 

 


 

川口忠彦(HESOMOGE)氏個展、『蒼き鳥 ∞ 色彩の羽音』。
8月24日、同個展を開催中のセレクトショップ “A STORY TOKYO 新宿南口店”で、
第一回ギャラリートークが開催されました。

今回の主役を飾る青い鳥タロット第二版のお話を中心に展開される、
川口氏と七梨乃の「光と闇」観。
宇宙や時間という構造にどのように意味を持たせていくかということについて、
占星術、美術、宗教と様々な角度から「人生の測り方」を検討し合い、
果てはあの名作の製作秘話まで飛び出して、芸術だけが持つ強さとは……ということを、
その場の皆が語り合う、非常に熱い1時間になりました。
少し長いですが、物語の持つ強さとそれを必要とする魂のリズムについて、
思いを馳せながら読んでみて頂きたいと思います。

文藝サークル『天秤と鏡』七梨乃 那由多

 


 

川口忠彦氏(以下、川):それでは、よろしくお願いします。ばたばたしてすみません。
ギャラリートーク自体も会期中に決めたんですよ。
お客さんとしてきてくれて、“やってくんない?”みたいな(笑)。先々週ぐらいに。

七梨乃那由多(以下、七):はじめまして。私、七梨乃那由多(ナナシノ ナユタ)と申します。
同人作家をやっておりまして、自分のサークル『天秤と鏡』を主催しております。
来歴は、実はこの近くにあります書店で数年間書店員として、美術担当として働いていて、
今は全く違う仕事をしていますが、『ヴィーナス&ブレイブス』というPS2ソフトが
発売された際にどっぷりと(川口さんの世界に)はまりまして。
twitterで川口さんと繋がったのですが、
僕は普段から美術のイベントを観に行ったり、色んなアートを観ているのですけれども、
その(関連した)ツイートを気に入って下さって、
“やってみる?”ということで今日、このような形になりました。

今日はですね、本当にざっくりと、皆さんとお話しようかなぐらいの感じでやっていきますので、
すごく気楽に聴いていただければと思います。よろしくお願いします。

川:何か気になることとかあったら、全然質問して頂いて。

七:“こうなんじゃないんですか?”ぐらいの感じで言っていただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。

川:繰り返しになるけれども、twitterで美術館とかに行って僕も感想を書いたりする。
その直後にこの人も同じイベントに行って感想を書くわけだけども、
全然こっちの人の方がレベルが高くて。

七:そんなことはない(笑)そんなことないです。

川:“俺こんなこと考えたこともねーや”みたいな視点で。
『バルテュス展』というのを観に行った時に、僕はまぁバルテュスって、
“平面構成と空間の、絵画性の両立がすごいんだな”っていう、
割と絵描きなら誰でも思いつくレベルのことを書いてたら、
この人は“バルテュスってのはそもそもアトリエから日光を頂いて製作する、
ということに拘っていた画家であることから分かるとおり、
キャンバスを光の器だと捉えている面があり、”とか書いてて、
俺もうそんなこと考えもしたことないよみたいな(笑)。
そういう、かなり深いところで美術を観られてるなぁ、っていうのをずっと思ってたので。
こういう人に僕の作品を語ってもらったらどうなるんだろう?っていうのをずっと思っていたので、
是非是非、よろしくお願いします。

七:よろしくお願いします。
実は今の触りでもうお話していただいたんですけれども、
バルテュスの話、実は次回の30日に触れようと思っていたんです。
バルテュスと川口さん、という対比で語ろうと思っていたぐらいなんですけれども。

川:おお。

七:バルテュスの作品について改めて補足をさせていただくと、
フランスの20世紀美術最後の巨匠といわれていた人です。
一時期かなり広告も貼られていたんですけれども、
何の広告が貼られていたかというと、少女なんです。
しかも「あられもない姿をした」少女なんです。
なので、おそらく駅で観てて、その『バルテュス展』という(広告)のを観た時に、
“ああ、これはエロチックな展示なのだろう”という想像をかきたてる、
むしろそういう部分を売りにしているっていうのが『バルテュス展』だったのですが、
確かに行ってみればそうなんです。美少女の絵がすごく並んでいる。
裸の娘もいるし、あられもなく脚を広げている絵もある。
だけど、観ていった時に、全くエロチックじゃないんです。全然エロチックじゃない。

川:うん、全然違ったね。

七:むしろ、歴史書を紐解くようなところがあるんですよね。
なんでだろうって思った時に、まず少女のポーズっていうのが、
言ってみると、「天秤」みたいなんです。
こういう風に……(脚を開いて手を頭の後ろに回す)
なんかだらーっとした女性の絵があって、扉絵なんですが、
すごく“だらしないなぁ”というポーズなんですけれど、
その腕の形を見てみると、きれいにぴーんと、天秤になるように見えていて、
ぱっと遠めで観た時に“あれ、なんかあそこに機械があるぞ?”と思うような、
そういう印象の絵が並んでいたんです。
なんでだろう。これだけ少女の絵があって、と。
“僕は美少女の絵を観に来たのに”ぐらいのことを思ってたんですけど(笑)。
で、そこで放映されていたドキュメンタリーを観た時に、
この人はアトリエを必ず自然光がまっすぐ差し込むように設計してそこでしか描かない、
という人だったんですね。

川:こういう絵だね。
(スマホで『夢見るテレーズ』の絵を見せる。http://balthus2014.jp/)

七:そう、これです。

川:多分どっかで見かけてるんじゃないかな?電車とかで。

参加者Aさん:これは、前にNHKの特集でやってたバルテュスの番組で観ました。

川&七:ああ、やってましたね!

参加者Bさん:何年ごろの方なんですか?

七:この方は、ウィリアム・モリスの後、20世紀の始まり頃からの人です。
結構、最近といえば最近の人。近代美術の最後の最後っていう、締めを飾るような人ですね。
それで、この画家自身が、すごく光の当たり方というものに対して拘りを持っているんです。
“この角度じゃだめだ、お前絵をそんなとこに置くな”といってものすごく、絵を観るのにも怒るわけです。
これはこの角度じゃないとこの絵を描いた意味がなくなっちゃうんだと。
そういうのを観た時に、ああ、この人っていうのは、絵を描くというよりは、
自然光が入る器を描こうとしているんだっていうことが、
僕はその映像を見たときにすごくはっとして……

実はそのバルテュスという方、フランスの方なんですけれども、
東洋文化にものすごく造詣が深い方です。
晩年は自分で浴衣を着て過ごしたという人なんですが、
その人はもう絵の中に中国美術の構図のとり方をしたりとか、色んな冒険をするんですね。
結局、闇の中で観た時にはあまり意味が出ないんだけれども、
光が通ったときに、あっ、そうなんだ。「時間の流れ」じゃないかと。
少女を持ち出したのも、「思春期」というのを取り出して、これから変化していくもの、
その動きそのものを表現していこう、という、そういう「光の画家」だったわけですね。
そういうところに衝撃を受けたんですけれども、
それに対して、川口さんの作品を観た時に、僕はまた逆の衝撃を受けたんです。

川:ははあ。

七:最初に青い鳥タロットを観た時に感じたのは高いデザイン性です。
そして以前『黒キ太陽ノウタ』という川口さんの初個展にお伺いした時に、
黒基調の絵が多く、僕の大好きな『ヴィーナス&ブレイブス』のアートワークも一部あったのですが、
全体的に観た時にすごく新しいな、新鮮だなと思ったのは、
通常、絵を描く時って光源を意識しますよね。
この角度から光が当たってこういう風に発色します、っていう考え方。
でもそういうアプローチは、川口さんからの絵からは、僕は全然嗅ぎ取れなかった。
どっちかっていうと、真っ黒なスポンジをぎゅーっと絞ったらその中から色が出てきた、
という感じがすごくあって。
影の中から色が搾り出されていくというこの流れ。
まるで光というものを否定しているかのような。

川:ふふふ(笑)。

七:始めに影があって、「光あれ」といって光が来たという感じがするんですね。
それって、僕が今まで観てきたものの中では無かった考えだし、
現代アートが好きなんですけれども、
もともとあるものをひっくり返したところから芸術が始まっていくんだ、
っていうアプローチにすごく惹かれて。
『ヴィーナス』だけじゃなく、川口さんのスタイルそのものが好きで、
こうして遊びに来ているわけなんですけれども。

川:ありがとうございます。

七:光と闇の話というのはまた次回やるのですが、今日お伺いしたいのは、
タロットそのものについてです。
もともとタロットというのは、「マルセイユ版」タロットと「ウェイト版」タロットというのがあります。
マルセイユ版タロットというのは、16~18世紀にフランスで大々的に売れたタロットです。
このタロットはもともとなんだったのかというと、トランプのようなものだったんです。
遊ぶための、まあUNOのようなものだった。その中に思想の流行がありました。
当時はロマン主義が流行していて、魔術師エリファス・レヴィという詩人がいまして、
その人はいろんなものにこれは魔術だといって、
すべての芸術は突き詰めていくと魔術的なところに行くのだというようなことを言っている。
その人は魔術書を出していて、その中でこんなことを言っています。難しいんですけれど。

“『絶対的なるもの』は、言葉によって開示され、
それ自らと等しい意味をその言葉に授け、
その言葉の知覚の中で第三の自らを創造する”。

すごく難しいんですが(笑)。

川:うーん、難しいね。

七:まあ神でもなんでも、とにかく絶対的な存在というのがいるらしいと。
それはどうやってわれわれの前に姿を現すかというと、それは言葉によって表される。
だけど、言葉によって、神様はいるんですよ、という話をして、皆さんがああそうなんだ、
神様ってこういう存在なんだ、わかったと
。わかったけれども、その「わかった」神様というのは、その本人とは別のものなんです。
要するにコピーなんですよね。僕らが語っている神様的なものは、神様ではない。
そういうところに魔術の真髄があるから、それがわからないやつは
この本読めないよとか最初の方に書いてあるようなんですが……(笑)
これを観て僕が連想したのは、ヴィトゲンシュタインの言葉の中で、
“語りえるもののみを描くことによって、語りえぬものの輪郭をつかむことはできるだろう”、
言葉を尽くした先に、言葉では至らないものがあるという考えなんですが、
そういうものがマルセイユ版の中にはこめられているようで。

もう一つはウェイト版なんですが、こちらは19世紀のイギリス、
宗教結社『黄金の夜明け団』の(元)団員、ウェイトさんが作ったものです。

川:ああー、そうなんだ。

七:カバラの解釈が加わっているタロットなんですけれども、
ウェイトさんはもともと宗教家で、“占いに使うな”と怒っていたらしいんです。
“これは魔術書だから”と。ともあれ、イギリスでもこれが流行りまして、
今タロットといえば大多数がこのウェイト版というものになります。
絵柄はアール・ヌーヴォー的で、アルフォンス・ミュシャという、
デザイン性の高い絵を描く画家がいるのですが、そのような素朴な感じの絵柄です。
で、この二つの版を踏まえた上で、青い鳥タロットの構成を考えると、
マルセイユ版なんです。
8番に「力」が来るのがマルセイユ版、でしたっけ?
(注:8番目に「正義」、11番目に「力」がマルセイユ版)

川:「正義」だね。ウェイト版ではこの配列が逆になっている。

みかみまき先生(以下、み):ウェイト版は、カバラというのが秘伝の宗教なんですけれども、
そこに「生命の樹」というものがあって、その中に「パス」というのがあり、
その「パス」に当てはめるために順番を変えてるんです。
占星術と合致していて、そのためにライオンである「力」を前に持ってきて、
天秤である「正義」を後ろに持ってきている。

七:ああー、なるほど。実用的な意味で、ということですか。

み:基本的に錬金術というのは占星術がベースになっているので。
占星術の理解なしには語れないものですね。

七:うーーん。僕は今まで錬金術というものには漠然としたイメージしかなくって、
昔の科学なのかな、と思っていたんですが……

み:自然科学ですね。アリストテレス。
占星術は数学です。

七:なるほど……その上でマルセイユ版の配列を取られたというのは、
どういう意図があるのでしょうか。

川:「愚者の旅」というひとつのテーマがあって、みかみさんが
僕にそういう説明をするとわかりやすいんじゃないかと思ってくれていて、
それに基づいてやっていった結果、まずつまづいたのは実は「恋人」のカードで。
恋人って、ウェイト版だと二人なんですよ。
アダムとイヴだけで、二人一対で恋人としているというカード。

七:ああ、そうでした!

川:ウェイト版の方が普及しているし、わかりやすい絵柄だから、
ウェイト版のほうをベースとして描いていったんですね。「絵柄として」は
。なんだけど、そこが障害になっちゃって。
恋人というタイトルと、“選択”を示すという内容と、絵柄が全然違う!と思っちゃって、
そこですごい困っちゃって。
マルセイユ版の方を参照してみると、こんな風に一人男がいて、両脇に女の人がいる。
だからこの若くて情熱的な女性を取るのか、
後家さんで知恵も経験もたっぷりある人を取るのか……
っていう選択なんだっていうことになって、
“ああこれはウェイト版だけに寄り添っていると危ないぞ”と。
全然マルセイユ版の意味の方が「合ってる」場合があるんだってことに気づいて、
それで大分両方をフラットに観ていくようにした結果、
“これ、順番もマルセイユ版のほうがよりよくないですか?”って話をみかみさんと相談して、
ウェイト版をベースとしながらマルセイユ版が入ってくるという感じだけれども、
でもそれはそれで我々の『青い鳥タロット』を創る上での考え方として
良いんじゃないかっていうことをみかみさんからも言われて、
それでいきましょうということになったんです。

七:最初にタロットとして観た時に、配列はマルセイユ版だけれども、
絵柄はとても「ウェイト版的」。
すごく線も素朴だし、儚げだし、見やすくもあり。
マルセイユ版の場合は木版なのでこうぽんぽんぽんと(判子のよう)……
で、絵柄もちょっとファンシーで、『となりの山田くん』的な。

一同:(笑)

川:(笑)わかりやすい。

七:ふわっとした感じなんですけど(笑)。
いや、しかし「恋人」、そうでした。
ウェイト版だと……あれはアダムとイヴなんですね?

み:そう。あれは智慧の実を食べて楽園を出るか、
智慧の実を食べずに楽園にステイするかっていう。
新しく出て行くか、古いままにステイするかっていう選択。
基本的にウェイト版はキリスト教の人々の影響があって。
それにしてもウェイト版は結構、平たいというか、
色々なものを入れている部分があります。

七:そうですよね……「恋人」というタイトルがついているけれども、
アダムとイヴという存在、
で、選択をするのは林檎を食べるか食べないかということじゃないですか。
「恋人」という表題からすると、もうアダムとイヴって相思相愛なわけで、
そこでもう完結してますよね。
でも青い鳥タロットの「恋人」?たちって、
ご覧の通り完結どころか関係が始まってないわけですよね。
そこにすごく葛藤がある一枚ですよね。
しかし実は天使(みかみ先生訂正:キューピッド)がもう狙っていて、
さあ男の人はどうしますっていう状態。
確かにどちらかに寄り添ってしまうと転んじゃうところもあるんでしょうね。

川:絵的な裏話を言うと、あの二人を出して、男が一人出たから、
“良いだろう”と思って、みかみさんに鑑賞いただいたところ、
“これだと若い女の子に分がありすぎるんで……”

一同:(爆笑)

川:“もっとこっちの方(年上の女性)もちゃんと魅力があるように描かないと均衡は取れません”
って言われて(笑)。
“すみませんでした、もうちょっとイイ感じに描きます”
って言って……(笑)。

七:(笑)。じゃあキューピッド的には未亡人寄りなんですか?

川:今はでも、フラットに。

七:ああ、まだわからない、と。

川:そうそう。そんな裏話もありました。

七:ちょっとドラマがあって……火サス的な(笑)。

川:(笑)確かに確かに。

七:そんな修羅場的な感じがあって、すごく現代的な解釈という風に思いますね。

川:そう。そんな感じで、自分の解釈で、みかみさんのフィルターを通じつつ、
絵を観て、言葉に置き換える以前に「ふわっ」と意味が(わかるように)。
絵の機能ってそこにあると思っていて、
言葉って言う媒介を通さないでふわっと直接的に意味が働きかけてくるみたいな風にしたかったので、
そういうところでかなり明快さが出てるんじゃないかという。

七:個人的にこの中で気になったのは「死神」なんですけれども。

川:はいはい。

七:「死神」といえば、今ヒルバレースタジオで同時開催している、
あちらの方で、TERROR SQUADさんでしたり、マシリトさんのアートワークなどが飾られています。
死神……鎌を持ったキャラクターがそこでは頻繁に描かれていて、
ある意味すごく、川口さんの看板娘じゃないですけど、
キャラクター的なものなのかな?と思ったんです
。ただ、この「死神」、ウェイト版と全く構成が違うんです。
ちょっと気になったので印刷してきたんですが……
広く流通しているウェイト版の「死神」というのはこうなっています。
軍旗を持って、死神が歩いてくる。
死体が転がっていて、おそらく司教と思われる人と、
子供たちだけは生き残っているという構図なんです。
あちら(青い鳥タロット)の死神の方は、“いっちょ仕事やるぜ”みたいな、
一個新しい解釈をこれから作るという、
言っちゃうと建築していく人という感じがするんです。

川:はいはいはい。

七:だけどウェイト版を観てみると、明らかに殺しにかかっていて、
本当に『死神』という言葉通りの仕事をしているという感じがします。
色々調べてみると、異教徒を征伐する騎士なんだっていう解釈もあるらしいですし、
疾病の流行……黒死病だったりとか、そういうものを表してるという解釈も見当たりました。
なんというか……青い鳥の死神からはむしろ慈悲を感じるわけです。
どういう経過でああいうデザインになったんでしょうか?

川:そうですね。これは「塔」というカードと一緒に観るとわかりやすいと思うんですが。
「塔」って、嫌いな人はすごい嫌う、単純に「大凶」みたいなカードだっていう風に信じている人がいて、
結構タロット占いが好きな女の子でも、
“これは大凶だから出たら最悪なことが起こる”
みたいに、単純に捉えられてることが結構あるようなんです。
僕の知り合いも実際そうだったんですけどね。

七:うんうん。

川:ところが、みかみさんに会った時、僕はその当時タロットのことを全然知らなくて、
(みかみ先生が)「塔」を引き合いに出して、
“タロットカードっていうのは、良いカード悪いカードってのはありませんから”
と最初に断言されたんですよ。
それがまず、僕が後輩から聞いてたイメージと違う。
だけど例えば、といって、「塔」で聴いたのが……
(会場、大き目の地震に見舞われる)

会場:おぉ……

参加者Cさん:「塔」だ(笑)。

七:「塔」の話をしたら揺れ始めたという(笑)。
この(絵のような)状況にならないことを祈りますけれども(笑)。まあ大丈夫でしょう。

川:おぉ、結構揺れるね。

七:久々ですね、地震がきたのは。

川:ね。しかもこんだけ割と揺れる感じのって……。
まあ、そんな感じで「塔」は言われているんだけども、天からの雷で塔が壊れて人が落下しているという(構図)、
「思いがけない災難」っていう意味もあるけれども、
それはその雷によって塔が壊れたということからきているんだけど、
そのことによって実はこの人びとというのは、自分で作り上げてしまった固定観念とか、そういう悪いものから、
外的な刺激によって抜け出せているんだっていう面が実はあるから、
物事には良い面と悪い面があるのと全く同じようにカードにも良い面と悪い面があると考えちゃっていいです、と言われたのね。
そのようにして「塔」っていうのは最悪なカードではなく、そういう面もありますと言われて。
これも楽観的な「塔」だって言われるんですよ。
救いがある「塔」だって。僕の後輩でそういう風に(最悪なカード)言ってた子は、

“今までどういうデッキでも「塔」が大嫌いで、見るのも嫌だったのに、
このデッキに出会って大丈夫になった。このデッキの「塔」だけは大丈夫なんです。
だからこの「塔」を買って帰ります”

って言って、前回の個展の時に大判のでかい「塔」を買ってったんですよ。

一同:へえ!

川:それぐらい楽観がにじみ出てるカード。
というのと、この「死神」っていうのが、構成が似ていて。
死神だし死体転がってるしで怖いものとされやすいんだけども、
“これも同じことで、再生させるために破壊しているんだと考えて下さい”
とみかみさんが仰っていて。
ここからまた新しいものを作り出すために一旦更地にする、
その更地にするということが必要なので、鎌を持って作業をしているんだっていう。
もうそれを聞いてしまうと、もう僕自身が、「悪いもの」を「悪いもの」として描くとか、
「善いもの」を「善いもの」として描くっていうことにあまり興味がなくて
、特に「悪いもの」とされてレッテルが貼られてるものに対して、
実はもっと善いものなんだとか、実はもっと希望があるんだとか、
間違ってると言われてるけども実は正しいものなんだとか、
大げさに言っちゃうとレッテルとの戦いというのかな、
そんな気持ちで創作しているところもあるんで、
特に燃えちゃうんですよね、そういうこと(悪い)言われちゃうと。
“「死神」で希望があるんだ”っていうんだったら、
“じゃあその希望を全力で描いてやる”
って気持ちが強くあって、痛快な「死神」になったんだと思います。

七:すごい、だって、正義の味方みたいですもんね!

川:そうそうそう(笑)。

七:こう、ピンチに現れたという感じがするし。
川口さんのメンタリティ的に「塔」から解釈を始められたっていうのが、
すごく合っているというか……確かに“破壊”っていう言葉を挙げてしまうと
すごくネガティヴな印象があります。
自分たちがせっかく築いてきた自我だったり、常識だったり、そういったものが、
まったく自分の手の届かないところから、自分の手の及ばないパワーで壊されてしまうという。
人は直感的に恐怖を感じるわけだけども、でもそれは古くなったビルの解体工事みたいなもので、
一旦壊してしまわないとまたいいものは創れないし、
逆にそうやって壊さないことで袋小路に陥ってしまうことってありますよね。
僕もネガティヴな人間なので(笑)、一人で勝手に考え込んでは
“ああもうだめなんだ……もうやってらんないわ”
って思ってしまうんですけど、それって結局自分の建てた城の中にいるだけで、
それは何か「雷」をもたらして、自分が外に出て行かないと新しいものは作っていけないぞっていう。
確かに「塔」は大事です。おそらくあの死神の後で割れてる卵っていうのも、そういうことですよね。

川:そうですね。パッと見で、死神が壊してしまった卵にも見えるけれども、
実は僕の中での正解は、孵化して中身が出ていった後の卵の殻で、
で、実は「死神」で孵化した小さい子たちってのは、「節制」の片隅に、いるんです。

七:あっ、そうなんですか!

川:小さい小鳥がいるんですよ、「節制」の片隅に。
あれは「死神」で生まれた子たち。だからやっぱり孵化なんですよ、僕の中では。
死神が殺したのではなく。

七:なんか、お父さんみたいなところがありますね。

川:確かにあるかもしれない(笑)。

七:「死」ってやっぱり大きなテーマなんですよね。
「死」っていうのが最初にこないと、物語が始まらないとすら思うんですけれども、
僕が大好きな大好きな、本当に大好きな『ヴィーナス&ブレイブス』というゲームも、
最初に100年の滅びの預言という預言書があり、その預言書の内容を書き換えようとする物語ですね。
世界は予め呪われていて、それを一つ一つ解呪していくっていう物語なんですけれども、
実際のところ、解呪の一つ一つにはそんなに意味がない。
ものすごくへこんでしまった時を思い出して頂けるとわかると思うんですけれども、
悪い時ってどんどん悪いことが重なって行っちゃうんですよね。
一回へこんじゃうともういろんなことが悪いことのように思えるし、
じゃあそこで頑張って、また借金をしなきゃいけないんだったら、
ゼロに戻って借金をしての繰り返しで、何も溜まらないじゃんって話になっちゃうじゃないですか。
でもその呪いを打ち破るパワー……
「塔」と「死神」がないと新しい物語は始まらないっていう風に思いますね。
しかしこの「死神」のあとに、「悪魔」がくる。

川:「節制」を通じてね。

七:そうですね。この「悪魔」ってすごく……色欲(の塊)ですよね。
さっき小耳に挟んだのですが、これはバフォメットではないんですか?

川:いや、バフォメットなんだけど、バフォメットがメインの絵ではない。
バフォメットを中心に据えてはいけない絵だったんですね。
むしろ主役は人間であって。悪魔に支配されているという受動的な状態というよりは、
自分も好き好んで支配されているという、本当の受動じゃない状態。
だから首輪が緩いんですよね。わざと緩めに描いてある。
いつでも自分の意志で抜け出せるにも関わらず、自分で好き好んで悪魔に関わってるという、
支配されたがってるんだっていう、人間のすごい悪いところが出てる。

七:悪いですね。詐欺師はよくそういうこと言いますもんね。
“いつでも止めていいんだよ”みたいなことを言うわけです(笑)。
“君は自由なんだよ”と。(笑)

川:そうそう(笑)。

七:この悪魔って、何か精霊信仰的なところがあるというか、唯一神、
キリスト教とはちょっと違うのかなぁと思っていて。
というのは、信者が力を与えることによって強くなるタイプの神、っていう風に感じるんです。
神社だったりとか。これって、この悪魔が力を得ている源って、この人間の堕落ですよね?

川:んーとね……あまりそこは意識してないかな。

七:エネルギー的には、「恋人」から移り変わってきたものがこうなっている?

川:そうそう、その通りです。

七:「死神」が登場しました、さあこれから始まるよって言う時に、
いきなり「悪魔」が出てくるじゃないですか。
この流れって僕“おぉ”ってびっくりしてしまったんですけれど。
割ったら人間の一番イヤ~なところが出てきてしまったというか(笑)。

川:まあ、一回「節制」に入るので。淡々と「節制」に努めるんだっていう良い時期があって、
ただそういう良い時期は続かず、本当は支配されるだのされないだのっていう、
まあ簡単に言えば、仕事を辞めて新しく仕事を始めて、しばらくはちゃんと勤めているんだけども、
今度は“会社との隷属関係が”……っていう、辞めたいけど辞められないみたいな、
なんでもそういうことになるのかなっていうね。

七:「節制」で一度自分の人生を整理して、その結果問題点が出てきちゃったのかな?

川:なのかね。一回はその環境になじむために勤めていくんだけど、
結局、環境でもなんでもいいんだけど、それに縛ることになってくるし、
そこにはお互いの欲とか、支配欲とか、色んなものが出てきちゃうっていう……

七:思惑が出てきちゃう。

川:そうそう。だから一度天の雷で破壊される必要があるのかなっていう。
まあもうそこらへんは僕やみかみさんがっていうより、
タロット自体の含蓄がすごいということになるんだけれども。

七:本当にすごいですね。タロット自体も由来がわからないというのがすごい。
マルセイユ版も流行りだし。たまたまフランスのマルセイユであの時期一杯作られたから
マルセイユ版だよっていう話があるわけで、
別にタロットをマルセイユという地方が作ったわけではないので。
ずっと昔から流れてきた宗教や価値観の集積があるということなんですよね。

川:そうそう、まさにその話でいうと、さっき“一神教的じゃない”って言ってたけど、
まさにそれとまったく同じことをみかみさんから言われていて。

七:ああ、そうなんですか!

川:俺自身がもうキリスト教とかっていう考えが全然なくて、
もうここ十年以来、神社とか仏閣巡りが好きで、日本的な精霊信仰、アニミズムにいるから、
だから唯一神的な感じで何かを描いてはいなくて、
俺の信仰の行き着く先って大体「宇宙」なんですよ。
最終的に宇宙なので、肝心な時にすぐ宇宙を出してるんですよね。
例えば「女教皇」の後ろにある、何かを学んで行ってそこに真理を見出したい、
みたいな時には宇宙が出てくるし、
真理を説いてる「法王」でも宇宙が出てくるし、
こっちの「力」のたてがみの中にも、宇宙があって。
これはやっぱり本能と理性の調和みたいなところなんだけど、
一番の極めつけが、最後の「世界」というカードが、ウェイト版だと「WORLD」なんだよね。

七:そうですね。

川:なんだけど、(青い鳥タロットでは)「UNIVERSE」になっていて、宇宙なんですよ。
たまにタロットの中で「UNIVERSE」を取り入れているデッキもあるんだけどかなり少なくて、
自分の、この青い鳥タロットの世界観を考えた時に、もう「WORLD」では全然足りなくて、
「宇宙」にしたいっていう気持ちがものすごく強く湧いたんで、
多分、自分のバックのキリスト教的じゃないより日本人的な宗教観っていうのが、
そういうところに出てるんだと思うんです。

七:僕も神社が好きで、というよりもう神道を信仰しているんですけれども、
色んな街に神社があって、それぞれに祭り上げられている神様は違います。
ここから明治通りに出て原宿へ向かう途中に東郷神社という大きな神社があります。
あそこに祀られているのは、戦争の時に軍を率いた昔の軍人。
他にも土着の神や村のコミュニティそのものを祀っている神社もある。

神社に来てこうぽんぽんと手を叩いて祈る(拝む)わけですけれども、
祈る対象って何かっていうと、無いんですよ。
結局神道って実際何に祈るかって言うと、その場に来た人たちを信じるんですよ。
神社には絵馬がかかっていて、絵馬には何が書かれているかっていうと、
“○○君が受験に受かりますように”とか、
“○○さんが退院できますように”とか、
そういう個人の祈りが書いてあるんですよね。
神社に来る人って言うのは、たまたま近くにいたからという人もいるし、
それ以外に聞いてもらいたい、もう自分の中に持っていられないから来ているという人がほとんど。
僕は人に御参りすることの意義を伝える時には、
神社というのは「気持ちの銀行」である、ということを言っています。
自分の中でもう溜まって溜まってしょうがない、預けたいよって時に預けられる、
逆に足りないどうしよう、って時に下ろしにいけるのが神社。
だって、あそこには常に“どうしてもあの人にうまくいってほしいんだ”っていう風に、
ありったけの願いをぶつけに来た人たちがいるわけだから、それはまさに「UNIVERSE」ですよね。

川:うん。

七:僕たちの道があって、それぞれの道はどうしても交わらないけれども、
その一つ一つの動きそのものに思いをはせる、それが精霊信仰だと思うんですけれども、
そのお話を聞いて今思ったんですけれど、このタロットへの挑戦自体が川口さんにとって試練というか、
行くべき道だったというような感じがすごくするんですよ。
これ自体に川口さん自身の成長というか、学んでいく過程というのを重ねて観てしまうんですけれども、
タロットをそもそも創られようと思ったのは、どういう理由からなんでしょうか。

川:きっかけ自体はすごい軽薄で、かつて『エースコンバット5』という作品を会社で作ったことがあって、
何を隠そう、その時に一緒に作っていた人がそこ(観客席を指して)に座ってたりもするんですけど(笑)。
その時に『姫君と青い鳩』っていう童話絵本、
ヒロインが好きで読んでいる絵本という設定で描いてくれと言われて。
このゲームを作ったプロデューサーが同期だったんで、
結構軽い気持ちで“こういうの得意でしょ、やってよ”みたいな感じで、
その時にこういう絵柄を作ったんですよ。
で、この絵柄が自分でも気に入ったし、評判も良くて。
ずっとこういう絵を描いてきたわけじゃなくて、初めて。
そういう設定だったので、自分の19世紀末美術好きの感じっていうのを多分に使って、
それにプラスちょっと『星の王子様』的な、
女の子が好きそうなかわいい感じっていうのを入れて描いてみたら、
思いのほか評判が良かったので、
“ちょっとこの絵柄を展開させてみたいなぁ、何か枚数描くネタないかなぁ”ぐらいの、
割とライトな感じで、タロットカードなんてこの絵に合うしいいかもしんない、っていうね。

七:(笑)。確かに22枚もあれば色んなネタ出せますからね。

川:そうそう。変にまた新しく童話絵本作るよりは面白いかなと思ってやったのが。
本当に最初だけはライトなきっかけでしたね。

七:ご自分の絵の幅を広げるツールとして選ばれた、ということですよね。

川:そういうことですね。

七:でも、僕はこのタロットというものが選ばれたということ自体に意味を感じるんですよね。
川口さんが今までされてきた仕事、芸術的にもそうなんですけども、
僕がすごく尊敬しているのは、「gear」っていうか、実際に動く「器械」を作られてるんですよね。
これ(タロット)にしたって実際に占い師さんが使われているし、
ゲームだって買ってゲーム機に入れて遊んでっていうことができるじゃないですか。
ここで語られていることっていうのは神へと至る道、文学的体験なんですけれども、
それを日常レベル、生活のレベルまで、物語の質を落とすことなく、「降ろして」きている。
実際にみんなの生活に役に立っているというところがすごいなと思うんです。

川:あぁ、ありがたいです。

七:なぜそれがすごいかというと、僕はこれからそういう時代が来ると思っていて。
詳しいお話はまた次回にするのですが、今ざっくりお話してしまうと、
これからはコミュニティのデザインをする時代がきています。
インターネットの時代は終わりつつあります。
twitterとか、mixiとか……mixiももう古いな(笑)。とぅぎゃったーとか、
もう大体が限界が見えてる、底が知れてるんです。
ちょっと前までは、仮想世界って言うものに対して皆が夢を持っていたと思うんです。
現実で叶えられない夢がもうネットに繋がれば距離も関係ないし、
身分も関係ない、もうまさに「塔」に降ってきた雷みたいなもので、
そこから新しいものがどんどん生まれてくるんだ、っていう期待があった。
だけど現状を見てみれば必ずしもそうではない。
「悪魔」的な状況が多いかなといったところです(笑)。
蓋を開けてみればtwitterというのはデマの温床であります。
むしろ自分たちが思っていることを変えずにいかに保存してそれを流すか、
ということがネットで流布する情報の一番の特性になっています。
“ネットってもう大したことないんじゃね……?”となって、
それで今手が入ってきているのは、コミュニティのあり方そのものをどうしよう、という考え。

一つ例を挙げますと、
アメリカから来ている「Uber」(http://jp.techcrunch.com/tag/uber/)というビジネスがあって、
どういうものかというと、スマホでタクシーが呼べるんです。
その場でタクシーが欲しいなーってスマホでシグナルを出すと、
スマホを持った近くの運転手が“あっ俺行くよ”っていって来てくれる。
経路はGPSで追って、キャッシュレスで清算してそのまま降りられる。
やってることはタクシーを呼んでるだけなんですが、これって要は、
人の移動という行為を再構築したことがすごく評価されている。
タクシー乗り場に行って、メーターでがちゃがちゃ何km毎に記録されて……じゃなくて、
あくまでもパーソナルなスマホの利用の延長として、
今ここからはタクシーでの移動をしたいんですっていう意思が、
そのまま繋がってしまうというところに変革がある。
それって結局どういうことなのかというと、「考え方」をデザインしているんですね。
それで、川口さんの作品を観ていて思ったのは、
川口さんの物語って色々な言葉の意味を変えているなっていうことで。

川:ほほう。

七:「死神」にしても「塔」にしても、本来の意味と反対のものを表している。
なんというかその「やり方」が、これから必要になると思うんです。

川:やっぱりゲームを二十代で作って、31、2ぐらいのときに代表作を作ったわけなんですが、
自分自身は中学高校のつまらない時にゲームをやってすごい救われていたので
ゲームを作っていたというのがあったんですけれども、
その二個(『セブン~モールモースの騎兵隊~』、『ヴィーナス&ブレイブス』)を作って、
その時代で自分がもうそれぐらいの年になってくると、自分がゲームをプレイした時に、
自分の人生の悩みをああいうエンターテイメントでは抱えてくれなくなったんですよね。もう重すぎて。

七:あ~、そうなんです?

川:自分の人生で起こってる、もう親がくも膜下出血で倒れて死にそうだっていうことを、
ゲームのおとぎ話に投影したところでどうしようもないってことをもう知っているから……

七:確かに……それはもう「解決」できないですもんね。

川:そう、「解決」全然できないし、ほとんど救いにもならないし、
時間だけ経っていくっていうことで、別にゲームを悪く言うわけじゃないんですけど、
ただメディアとしての限界をすごく感じて。
もっと自分が三十代に入り、これから高齢化社会になっていくってところで、
これでかいこと言ってるようでもう本当のことなんですけど、
平均値がどんどん上がっていく中で、そういう人たちの、
人生のシリアスな面を支えられる何かはないかというのをずっと探していて、
そのうちの一つはゲームというトータルメディアで、ちょっと子供向けのものではなく、
ゲームってのはパッケージだから、
物語があり、ゲーム性があり、映像があり、音楽があり、
それが一点に向かっているから面白いし、すごく夢中になれるんだけど、その分制約が多すぎて、
それぞれのレベルが最高に高い……物語として素晴らしいか、
絵画として素晴らしいかっていうと、どれもはっきり言って二流、三流の域だったんです。
ただ敢えてそういう風にすることで、初めて一流のゲームができる。
全部が一流だと一流のゲームにはならない。組み合わされないから。

七:尖りすぎちゃうんだ……

川:そうそうそう、わざと機能のために奉仕しないといけないので。
しかしそうなったものは、やはり支えきれないものが出てくる。
で、そうなった時に、やっぱり自分は単発で飛び出てるものの方が、
やっぱり奥の成熟したメンタルの面を語っていたりするから、
ゲームで「仲間を助ける」話ではもう収まらない。
もうちょっと微妙な、わけのわからない気持ちとかを、小説とかの方が示しているんで……
ということでもっとアートとか、純粋な環境音楽とかの方が自分を癒してくれるなと思ったし、
自分だけじゃなくて多分そういう人が増えるだろうなと思った。
ていうのと一緒で、ゲームという形の現実逃避の箱ではなく、
なんかもっと生活とか人生に直接アクセスできる、
アートやものづくりのやり方はないかなと模索していたのは事実で。
それがやはりタロットという実用品に向いたことの一つのきっかけにはなった気がしますね、
そう言われてみれば。

七:僕ももともとものすごいゲーマーなので、
色々なゲームをやるわけなんですけれども、確かにそうなんです。
プロダクトとして作られるゲームというのは、お金を出して下さるお客様がいらっしゃる。
でクリアして頂かないといけないので、最終的な目的というのは、
物事が「解決」できることを目標にしてしまうというところがあります。
当然世界の中には「解決」できない問題がたくさんあります。
ゲームの中の物語でいうと、結局色々あったけど解決できたよ、
っていう風にお話を「変えてあげる」しかないわけです。

でも、川口さんもそうだと思うんですけれど、
クリエイターというのはご自分が抱える問題について、自分自身の血と汗で、
自分の手で作ったもので答えを出したい、解決していきたいという思いがあって、
そこがもうゲームというチームプレイではカバーできないところがあって、
もうそこで独立していくしかなくなったというわけなんでしょうね。

実は今日もゲーム友達が遊びに来てくれていて、ありがとう!
彼らとはいつも対戦ゲームをやったりだとか、チーム戦をやったりしていて、
サバイバルゲームというのがあるんですけど、5人・5人で組んで、戦って勝ち負けを競う、
みたいなそういうゲームをやっていて、そういうのを指揮官として、
ブラッド・ボアル(『ヴィーナス&ブレイブス』の主人公)役じゃないですけど(笑)……
それ担って思ったのは、ゲームって、それ自体について価値を追い求めた時には、
(何かの)始まりに過ぎないような気がして。
『ヴィーナス&ブレイブス』はシングル(一人用)のRPGですけれども、
その先……それをプレイした先にプレイヤー同士のコミュニティがあって、
そこから新しく生まれてくる物語りに本当の価値があるっていう風に思うんです。

川:ああ、そうかもしれない。

七:いや、『ヴィーナス&ブレイブス』っていう物語自体も
ものすごく素晴らしいんですけれども、
そこから実際に、そこへ集った人たちが何かを創っていくというところに、
本当のゲームのよさがあると思います。

川:そうですね。一番の社会貢献性かもしれないですね、それが。

七:そうですね、「人を集める」っていう意味では、
総合芸術としての形態がすごく力を持っていると思う。
ただそこから、各々が己の道を追究していくとなった時に、
川口さんが取られた道というのが、これ(美術)なのですよね。

川:そうですよね。いやあ、面白いですよね。
こういうのを作って、みかみさんが実際にそれで占いをして、
実際に一人ひとりの抱えている問題に何らかの答えを出して……
っていう形の個展になっているっていうのがすごい面白いと思っていて、自分でも。

七:面白いですよね。色々なものが駆動していますよね。
普通の「展覧会」じゃないんですよね。そこが面白くって。

川:そうそうそう。なんとかね、現実逃避「だけ」で終わりたくないっていうもがきはすごいあって。

七:意地がありますよね(笑)。

川:意地がある(笑)。
ゲームって言うのはもう本当に現実逃避に最高のツールでありすぎるがために、
その点に対する不満とがずっと溜まっていたから、最近はようやくそこを抜け出れている気がしていて。
こういう出会いができてること自体も、それこそさっきのコミュニティの話で、
実はそれがものを創る意味なんだってことがやっと最近わかるようになって。
やっぱり現実になんらかの機能を起こした方がより良いよなっていう。

七:そうなんですよ。これから本当に「そういうインフラ」の時代なんですよ。
コミュニティを新しく創る。ここでできた繋がりって、一般的な言葉では表現できないんですよね。
血の繋がりではないし、趣味かって言うと、
占いだったり、ゲームだったりと色々な来歴の方がいるし、
まったく言い表せない、でもつながりはあるよというのをこれから作っていかないといけない。
そういうところでいうとまさに必然性を感じるというか。

川:面白いですねぇ。(参加者の方から発言)はい、どうぞ。

参加者Dさん:この「月」の絵が今一番好きなんですけれど、あの「月」の女の人は誰ですか?

川:誰、っていうのは、設定がなくて。月のイメージで描いている人ですよね。

参加者Dさん:すごい面白いなと思うんです。
すごく静かな絵なのに、みんな月に向かってライブ会場のようにフィーバーしていて。

川&七:ああ~、確かに!

参加者Dさん:今お話を聞いて思ったのが、積み上げられたものが壊れて、
でも希望の星が現れて、月に向かってフィーバーしているのかなと思って……

川:面白いですね。タロットの流れで言うと希望の星というのはまさにその通りで、
一糸纏わぬ姿で無防備に励んでいく状態なんです。
あれってすごく充実した幸せな状態、夢に向かって本当に素っ裸でひた走ってる時代。
でもそういう無防備な危険なことをしてると、
また自分のネガティヴ感情とかが湧き上がってきてしまうよねという話で、
(「月」の中の)ザリガニが、自分の潜在意識の嫌な部分、怖いことを示しているらしいんですよ。
フィーバーというよりは、実は怖いものがふわーっと出てきて、犬たちが、それらを起こしている、
一見優しそうに見える「月」に対して警告を放ってるという、
絵解き的にはそういう理由があったりして。

参加者Dさん:水陸両用の亀や、ザリガニといった動物は
意識と無意識を行き来する存在だというから、何かあるんだろうなとは思っていたんですけど。

川:そうそう、まさにそれを示したのがあのザリガニで。
ただやがてそういう風に出てきた嫌なものも調和するんだよ、
っていうのが「太陽」で。実はあの二人手を取り合ってる中で赤い方、
どちらかがザリガニなんですよ。ザリガニと和解をしていく。

参加者Dさん:へええ、そうなんですか。やっつけちゃだめなんですか。

川:そう、タロットって全体的に陰と陽の調和というところにたどりついていて、
それをかなり高い次元で成功させているのがこの「太陽」というカード。

参加者Dさん:なるほど。(私は)やっつけることばかり考えちゃうんですが……

川:ははは(笑)。

七:確かに……「月」というのは、「月の引力」という言葉自体にも妖しげな、
妖艶なイメージがありますし、闇に惹かれていってしまうような感じがします。
月の女神という感じですごく美しい女性の顔が描かれていて、
それに対してこう皆がアイドルにウォーッ!となっているような感じ(笑)。
でも本当はその先には行っちゃいけないんだよとなっているということなんですね。

川:受け入れて、和解していくほうに行ければいいよねっていうか、
行くことになるよね、っていう。
人が生きていく中で経験していくことになる22の状況を示していて、
これを繰り返し繰り返ししていくのが人でしょって言う、
『愚者の旅』っていうのはそういう考えに基づいているので。

七:螺旋を描いていくわけですからね。

川:そうそう。その螺旋がこの「世界」の裏にある階段なんですが、
この繰り返しながら上に上がっていくっていうのはこの菱形の階段で示していて。
さっきの「死神」に近い感じで言うと、「月」もそういう意味で怖いイメージで、
「太陽」の方がよっぽど幸せなカードなんだけど、
俺が描くと雰囲気が「月」の方が優しくて「太陽」の方が怖くなるっていうのは、
多分やっぱり自分の中での、“レッテルを剥がして壊したい”っていう気持ちが多分あって、
不安だからこそそこに俺は安らぎを感じてしまうし、
逆に「太陽」的な、「調和で何ごとも美しい」って言われちゃうと、
“怪しい!!”って思って(笑)

七:僕もすっごいわかるんですよ(笑)、この「太陽」のうさんくさい感じ(笑)。

川:超明るくて、トークが上手くて、外交的な人って怖いじゃないですか。

七:怖い(笑)。

川:“私コミュ障なんです”って言ってくれるぐらいの人の方がよっぽど安らぎを覚えるんで。
ちょっとおどおどして喋るぐらいの人の方がよっぽど親近感を覚えて安心して付き合える。
でもそういう“怖い!!眩しい!!”って感じが、絵に出ちゃってるんですよね(笑)。
人に言われて気づいたんですけど。

七:いやでもわかりますよ、このドカンと来てる感じ。
湘南とかでレゲエをやってるお兄ちゃんみたいな(笑)。

川:そうそうそう、同感同感(笑)。本当悪気もないんだし善いんだろうけど、いやー怖いよね。

七:ライジングサン!っつって“みんなスクラム組もうぜ”みたいな。

川:“ちょっといいです……”っていうね。どうしても自分の中でなるんですよね。
そういう善いとされているものは怪しいと感じるし、
悪いとされているものに善さがあるんじゃないのって言いたくなるし。

参加者Cさん:ドラマとか映画とかで、こういう顔をする俳優さんっていますよね。
“いらっしゃいませッ!!ようこそいらっしゃいましたッ!!”みたいな(笑)。
ヤバそう……!っていう。

一同:(笑)

七:力がガーッと入って。確かに確かに。

参加者Bさん:強すぎる光っていうかね。

川:そうそうそうそう。

参加者Dさん:「ネガティヴモデル」の……(川口さん:栗原類さん?)
そう、栗原類っていう、あの人がDAIGOさん苦手っていうのは多分そういうことなのかな。

川:(笑)ああ、なんか善過ぎてね。好青年好青年しすぎるとね。

七:近寄りがたいかな~みたいな感じになっちゃうかもしれませんね。

川:ネガティヴ要素が無さ過ぎてね。あれで女癖でも悪ければ……

七:何かケチがついてれば(笑)。

川:そうそう(笑)。善い、善いって言われちゃうと、逆にそういう怖さがあるかもしれないね。
俺はやっぱり暗闇から光を“うわぁ、眩しい!”って思って見てる人間なんで。
もうずっと物陰にいて。そういうところが多分ね、出ちゃう。闇の方が安らぎがあって。

参加者Dさん:木陰も気持ちいいですよね。

川:そうそう、そんな感じ。

七:だから、どっちも「善い」んですよね。
「月」の中のザリガニをやっつけないのかっていうお話を頂いて、
「太陽」で皆が仲良くハッピーエンドに向かってる。
で、この物語ですごく新しいなって思うのは、
確かにジャンプとかの典型的な善いものストーリーって、悪いやつをぶっ倒すのが目的じゃないですか。
でもこれって、さっきの新しい言葉・コミュニティをデザインするっていう話と繋がってくるんですが、
敵対関係にあるものに対して、何が敵対関係にあるのかっていうことを見つけて、
“俺たちの齟齬ってここにあったよね”っていうのを「塔」がバーンと壊して、
“実は俺たちって敵じゃなかったんじゃない?”っていう話になっていく。
二人の関係性の中で詰まりがあったものを破壊していくっていう、
力の抜け方がすごく新しいなという風に思うんです。
誰も死なないし、全員が生き残るし、だけど物語は進んでいくし、解決が訪れるっていう。

川:なにしろこの後「審判」で死者が復活してるんですよ。
復活を示すカードで、実はこれ、ウェイト版だとこの下の3人の人がまったくの灰色に描かれていて、
本当に死者がむっくり起き上がってる感じなんですけど、
それをやっちゃうと描き方として本当に「漫画」になっちゃうので、
それをやらないであくまでも逆行で照らされているので青いんですよっていう表現をしているんだけど、
実際はそのゾンビ的なものっていうのを多分に意味としてとらえているので、かなり青い。
それぐらい復活をするのだということを表しているらしい。
そのぐらい調和していった先に物事がどんどんうまくいっていくってことを、
タロットは表していくものらしいんですね。

七:螺旋を創っていく過程ですね。僕も物語を創っていくということを考えて、
最初に作家になろうと考えた時にある本を読んだんですが、
そこには『ウロボロス』という怪物が書かれていたんですね。
それは自分の尾を噛んでいる蛇なんです。
それで、自分の体を食べていって、最終的にはいなくなっちゃうんですって。
不可視になってしまう。それが作家の本質なんだと書かれていて。

川:へえ。

七:以前川口さんがtwitterで
“ここにいる自分は残りかすだから、そこにフォーカスされても困る。
ここ(絵)に自分の本質があるから、この作品を通じて出会う人とは出会うから、
懇親会にも行かなくていい”と書かれていて、
創る人というのは、その道を進むことで
どんどん自分というものがある意味で消費されていってしまうわけです。
だけどそれによって何がもたらされるかというと、
ウロボロスの頭と尾がずれるんですよね。それでどんどん上昇を生んでいく。

この世の中には今そういうリングがたくさんあります。
世の中はとても固まっています。固定されています。
色んなところに詰まっているものがあって、それを打ち砕けるのは、
やはり自分の中のウロボロスを見て、それを噛み砕ける人なんですよね。
それを概念の次元でやれるのはクリエイターなわけですから、
川口さんの仕事というのはこれから本当に求められるものなのだと思います。
僕もそういうものを目指しているので、すごく展示から勇気をもらえるんです。

川:ありがたいことです。
この間もミニライブをやりまして、その中でまた新しく全然今まで縁の無かった人と繋がって、
案外そういう美的感覚がすごい近いところにあることがわかったりして、
半ば必然性があってこういう繋がりってだんだん広がっていくんだなってことを最近強く思ってるので、
これからもこういう活動を続けていくぞ、と。

七:すごく偶然性を感じるんですけど、いや、実際に考えてみると必然なんですよ。
皆果たしたい思いがあってこういう「本質を観に」来るので。
僕が川口さんが持っていらっしゃると思う意地があるんですけれども、
それは神話の世界の概念をここ(現実)まで持ってきてやるぞ、という。
ここまで下ろしてやるぞ、届けてやるぞっていう気概を『ヴィーナス』の頃から感じていて。
このタロットに青い鳥を起用されているっていうのも、新しいですよね。なんで青い鳥なんですか?

川:タロットを作るからには伝統的な使い方をしてほしいというのがあったので、
みかみさんにお願いしてちゃんと監修して頂いて、ちゃんと使えるタロットにする、というのが第一。
だけど新しく何かものを創るから、やっぱり自分なりのものは一つ何か絶対に加えたいと思って、
やっぱりさっき言った『姫君と青い鳩』という物語の青い鳩っていう関連もあって、
青い「鳩」だと狭すぎるから、青い鳥っていうのをイメージさせながら考えようと思って。
タロットというのが人生で必ず出会う22の状況と考えた時に、
じゃあこの絵の状態の時に青い鳥的な「幸せ」ってのはどこにあるのか、
いっぱいいるのか、いないのか、っていう位置づけを全部に対してつけようと思ったわけです。
一枚一枚観ていくと、近くにいるカードがあったりとか、
全然いなくて鳥の羽だけが観えているカードとか、鳥かごだけだったりとか、結構色々あるんだけど
、いないことにもいることにも全部意味をつけて、
メーテルリンク的な「幸せのかたち」というのが、この状況の時にどこにあるんだよ、
っていうことを入れている感じですね。

七:コンパスというか、メーターというか、これぐらいの幸せがこんな感じでにありますよ、
みたいな、そういう指標の一つとしての青い鳥ということなんですね。

川:そうそうそうそう!

七:なるほど。いやでも僕『青い鳥』って、正直すごく怖いんですよ。
青い鳥って、幸せの象徴って言うじゃないですか。
でも、『青い鳥が去っていった』っていう言葉もある。
それって幸せが僕の中から逃げていって空っぽになっちゃった状況で、
(それが)すごく怖くって。『座敷わらし』と似たようなイメージを持ってるんですよ。

川:ははは(笑)。はいはいはい。

七:『座敷わらし』っていう妖怪は、自分の家にいる間は、何をどうやっても幸せになるんです。
だけど、座敷わらしがいなくなっちゃうと、何をどうやっても不幸になっていくんですよ(笑)。
それに近いものを僕は青い鳥に感じていて。“あれ、怖いな”と思ったんですけど……

川:あー、そこは年齢の違いかな。

七:そうなんですか。

川:もう俺43になるんですけど、これを作った時はもう40越えてるんで、幸せ・不幸せな状況について、
まあさっき22の状況と言ったけれども、一番良いときもあれば、最悪な時もあって、
ただただ本当にその時、その時に青い鳥が近くに寄って来たり、
いなくなっちゃったりとかいうものであって、それのお陰でどうこう、というんじゃなくて。
「継続的な幸せ」なんて無くって、どうせ物事なんて移り変わっていくので、
良い時も悪い時も必ずある、幸せも不幸せも必ずあるっていうこと。
もうちょっと、諦め的でもあり、でも逆に楽観的で、解放的な見方ができているのは、
きっと俺の方がずいぶん年を取っているからではないか、という気がする。

七:あぁ~、そうなんですかねぇ。「次に来ているだけ」なわけですよね。
別に青い鳥が力を持っているとかいうわけではなくて。

川:そうそう、「じゃなくて」、ただただ象徴として有ったり無かったりっていう。
まあそんな重いもんじゃないんじゃね?っていう(笑)。
幸せの象徴って言ったって、幸せ不幸せがドーンと一回手に入ったから、
そのままその一個で幸せってことはなくて、あっという間に、急に親が倒れたりとかするんだよ。
いろんなことが悪くなったりとか。でもそういうこと「だけ」がずっと続くわけじゃないんだよね。
確実にそこからは抜け出す日が来るし。

七:思わぬところから来ますもんね。『ヴィーナス』もああいう風にできてましたよ(笑)。
騎士団がメチャメチャ強くってちょうどいい時に、
ラスボス級のヤツ(モンスター)が北と南(の果て)に出てきて、
街がどんどんどんどん喰われて、どんどん女神ゲージが減っていくんですよね(笑)。
“これは俺想定してないんだけど!!”みたいな。よくできてますよね(笑)。

もともとの『青い鳥』っていう童話も、チルチルとミチルという少年少女がいて、
幸せの青い鳥を探しにいろいろなところへ冒険をしてくる。
だけど帰ってきて自宅の鳥かごを見たらそこに青い鳥がいたよっていうオチでしたよね。
僕はもう本当にこのトークが始まるまではそれを恐ろしい~と思っていたんですよね。
それって観えてなかったってことでしょ?って思って。
まぁ成長できたのは良かったのかもしれないけど、
今まで青い鳥が観えなかったっていうのは怖いなと思ってたんですけどね。
それってでも結局チルチルとミチルが次のステージに行ったというだけで、
タロットの次に行ったようなものなんですよね。

川:そうそう。それでまたいずれ観えなくなるし。
それを繰り返していくから、まったく同じではないんだけど、
そうでないながらもやはり螺旋なので、似たような状況には陥るし。

七:良いこともあり、悪いこともあり。

川:良い時にバン!と終わってスタッフロールが流れるのが映画の良いところなんだけど、
現実はそう甘くないんですよ(笑)。

七:「その後……」がありますからね(笑)。

川:ガーッとみんなで頑張って高校野球出て「優勝した瞬間」は良いけど、
そこからプロになれなくて、おでん屋のマスターやるしかないとか、
たとえばそういう人生だってあるし。

七:そういうおじさん、いますね(笑)。

川:でもそれで「良い」んで。タロットっていうのはもうちょっと深い意味で示してくれているような気がするし、
『青い鳥』的な幸せっていうのは、俺はそういうことかなと思う。
別に優勝してない、準優勝だからスカウトもされなかった、プロ野球にも入れなかった、
でもずーっと野球しかしてなかったから、勉強もできないしなんもできない、“どうすんだよ……”。
で、たまたま近所でおでん屋やったら、ほんのちょっとだけ常連ができて、
なんとか食っていけるかっていう、それで良いじゃん。
“全然、それで良いじゃん”っていうのがわかるのが多分、中年の良さかな(笑)。

七:でもそういう「良さ」って、こうしてお話をしないとわからないですよね。
僕も青い鳥のことを本当にこのトークが始まるまで怖い怖いと思ってたし、
でも今お話をしてみて“そうだなぁ……”と。

最初のテーマに戻ってきちゃうんですが、「時代」と「社会」って全然違うもので、
「社会」の中には固まったリングがたくさんあって、
それを壊せるのは僕たちだけだっていう話を先ほどしましたけれど、
「時代」って「社会」とはまた別で、僕たちの一人ひとりの中に流れとしてあるんだと思うのです。
だから時代の変化っていうものにはついていけるか、いけないかじゃなくて、
自分たち自身がそうで、そういう「モノ」だし、それを生み出していきもする。
ただ「社会」はそうじゃなくって、「社会」ってのは「他人」の集まりです。
システム、思惑の塊なんですよね。で、それをぶち壊していくためには、
こういう風に「物語っていく」って作業が必要だし、
そのためには自分の中の「神話」を現実にしてやるんだっていう意地が必要なんですよね。

それを……まだ(みかみ先生の)占いもやっていますから、
実際に受けてみてこの世界に浸ってみたりして、
自分の中で物語というものを持ってみて頂きたいなと。

川:おお、綺麗に締まって(笑)。

七:いい感じに締まりましたね(笑)。

川:それでは、第一回はこんなところで。

七:いやー、面白いですね!皆さんもばんばんお話を頂いて、ありがとうございました。

川:ありがとうございました。

一同:(拍手)

 

 

以上

 

8/30土 17時ごろより第二回を行います。

よろしくお願いいたします。

 

川口忠彦

 

 

 

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