45歳になりました。

 

皆様こんにちは。
本日めでたく45歳になりました。

 

ここ数年、毎年誕生日記事を書いています。
ちょうど上半期が終わる頃、思いを馳せるのによいタイミングです。

41歳の時の記事でこう書いています。

“今振り返って思えば、自分にとっての30代は、ほとんど丸々、暗いトンネルの中にいたようなものだった。

自分の思っている自分と、自分が実際に置かれている状況と、自分でも気づいていなかった自分の心の声…それらの不協和に苦しんだ。
一言で括ってしまうなら、暗澹とした10年だったといってもいい。

その長く、暗いトンネルから、音を立てるように抜けだせたのが40歳の一年だったように思う。”

40歳になった年に、初めての個展をしました。

作家としてはあまりにも遅いスタートです。

しかしこの5年、その30代の不遇(と敢えて言ってしまおう)を取り戻してなお余るほどの、過去や今の作品への反響をたくさん頂きました。

 

いまは、秋に控える、新作展に向けて、日々、心・技・体を整えているところです。

作家としての第2ステージ。次の一手です。

ゲームの絵やバンド関係のアートワークの蔵出しではなく、青い鳥タロットの小アルカナ展というわけでもなく、新しい世界。

けれどそれは、セブンも、ヴィーナス&ブレイブスも、姫君の青い鳩も、青い鳥のタロットも、全てその根を共有する、根源的世界です。

 

さまざまなテイストで創作をし、時に人を惑わせてしまう私ですが、
大きく一貫していることがあります。

それは “ファンタジーを描く” ということ。

 

心理学的に、ファンタジー≒お伽話とは、心理的に未成熟である子供が成長していく中で、現実の世界を少しずつ受け入れていくために、現実の中に夢を散りばめ、夢のなかに現実をなぞらえ、受け止めやすくしていくオブラートのような機能があるのだそうです。

 

かつてゲームの中で形にしたのは、“青少年向け”のファンタジーでした。

青年期の自分が、救われ、胸焦がし、生きる糧になっていたもの。
そこには、「世界は生きるに値する」という、強烈な世界の肯定がありました。
それらのファンタジーを咀嚼しながら、大人の世界、社会の一員として世界を受け入れていくための心理的な準備をしていたように思います。

 

そしていま、絵画の中で形にしたいものは、“大人向け”のファンタジーです。

私も含め、今を生き、そして半世紀を待たずに死んでいくであろう多くの命にとって、
それら全てを美しく、愛おしく思えるような“世界の観かた”。
安らかな暗闇を、そこから望む遥かな光を、滅びを前提に燃え盛る希望を、表しておきたい。

「それでもなお、世界は美しい」と。「生きるに値する」と。

そう自然に湧き上がる、私たちの原風景、ファンタジーの世界を、形にして残しておきたいのです。

 

“薄明のステュクス”であり、“巡礼―亡き王都へ―”、“再生の島”といった、近年私が断片的に描き出そうとしてきた世界です。

 

45歳、遅ればせながらの作家活動第2ステージ。
初陣は11月の個展です。

万全の準備で望む所存です。

…誕生日の記事のはずが、個展のことだけ書いておりますが(笑)、
偽らざる私の今の近況報告です。

可能な限りあらゆる「所属」から離れて、日々創作に没頭して生きております。

そんな私です。
よろしくお願いいたします。

2016_wateretudes
最近行っていた、水彩紙の検証を兼ねた技法書模写などの水彩習作

川口 忠彦

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